Column

  1. Column一覧

Mackintosh Calender 解説文より1996.06

 建築家、チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh,1868〜1928年)は、スコットランドの工業都市、グラスゴーに生まれた。建築、インテリア、家具、照明器具、そしてテキスタイルデザイナー、並びにアーティストと多才でオールラウンドな建築家であった。
建築家は、その背景となる都市、そしてまた時代状況を無視しては語れない。19世紀末当時のグラスゴーは、大英帝国の第二都市であり、技術革新の中心的存在で活力に満ちあふれた、経済力、そして人口も膨張の一途をたどる都市であった。特に重工業、造船業、蒸気機関車両等、加工貿易で巨大な富を得、そして電気、建築材料など、科学技術の開発が日夜進められ、当時、比較的伝統的なものを重んじたロンドンに対し、グラスゴーはモダン好みの都市であったと言えるだろう。
 建築家、マッキントッシュがその頭角を現わしたのは、まだ彼が27才にして勝ち得たグラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペであった。それは、これまでのアカデミックな建築様式に対して機能を重視した、モダニズムの理念に基づくものであった。この建築は、中央部で二期工事に分かれる(第一期1897〜99年、第二期1907〜09年)。10年間の隔たりはそのまま彼のスタイルの変遷を示し、中央部のホールとウェスト・ウィングは、初期の特有の緩やかな曲線のあるアール・ヌーヴォースタイル、そして図書館側のイースト・ウィングは、晩年に続くメカニカルな幾何学模様のアール・デコスタイルが一つの建築の中に織り成された重要な代表的作品である。調度、この10年間が、マッキントッシュの最盛期にあたり、一連の代表作が作られた時期である。現在もこの建築は、市内の中心部にある小高い丘にその精悍な姿を保っている。
 彼の独特なインテリア、家具、そして生活に関わるトータルな空間演出の試みが最も顕著に表現されたのは、マッキントッシュの習作となる、自身の自邸であり、その後、彼の住宅の代表作となるグラスゴー郊外のクライド河口にある街、ヘレンズバラ(Helensburgh)の美しい田園風景に建つヒル・ハウス(Hill House 1902〜1904年)である。現在、グラスゴー大学内にあるハンターリアン美術館内には、マッキントッシュの自邸が移築され、彼がデザインし、愛用していた家具とともに再現保存され、展示されている。
 19世紀のイギリスは、技術革新の時代である。特に、建築家C.R.マッキントッシュ(1868〜1928年)が生まれ、活躍することになったグラスゴーは、工業技術を中心に発展した都市であり、当時、伝統的な風潮が一般的であった建築に対立しながら、アーツ・アンド・クラフトの建築傾向から、マッキントッシュは、機械文明の予感に立脚し、新たな技術を託しながら、徐々にモダニズムの理念を建築の実践を通して構築していくのである。その後はまだアーツ・アンド・クラフト的建築傾向の強いイギリスよりも、より柔軟なヨーロッパで開花して行くのである。
 アールヌーボーは、言葉の示すように、“新しいアート"である。それは、ヨーロッパ大陸を中心に19世紀末の時代をリードした、 ヨーロッパのアバンギャルドのアーティストたちの運動であった。彼らは、 それぞれの国の技術革新の時代に、 新しいテクノロジーに対する新たな工芸や美術の在り方を模索することに真剣に取り組み、対立と順応の共存する間で、 従来の世界観からの突破口を開き、次世紀の現在に受け継がれるモダニズムの新たな展開へのきっかけをもたらしたのである。 この新たなスタイルは、多様性と自由性を示すだけでなく、作家たちの土壌であるナショナリティーを踏まえて、 それぞれで独創性のある展開を見せてインターナショナルに拡がる面でも興味深い。
 その起源やその後の展開、またその特異な時代性や、 我々にとってどれほどに重要な様式であったかが理解されるであろう。