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SDレビュー1997展レポートから 1997.10

 関西地区でのSDレビュー展は、大阪芸術大学で開催された。大阪南東部にあるこの大学と、私の住む阪神間からは幾分距離があり、移動に2時間は要する。電車を乗り継ぎ、遠いと思いつつ会場に向かった。通常は、今回のSDレビュー展のような機会がなければ、非常勤講師であるとか、ゲストクリティックの建築家として呼ばれる以外に、まず外部の者が大学を訪れることはないだろう。 そして、SD展のような催しは、場所の提供並びにサポート体制が無ければ難しく、私学の独自性が生かされたもので、国公立の大学ではあり得ないと思える。 これには、市民大学講座のようなユニークな作品展として、大学と実社会との交流の場としての継続と拡がりを期待したい。
 大阪芸術大学のキャンパスは、高橋青光一氏の設計による。一連の校舎群は、自然の流れに沿うように、そして奥へと引き込まれるように計画され、また、キャンパス入口前の広場に面し、初期のコンクリート打放しの、低層でピロティーで抜けた、実に軽い校舎と、SDレビュー展会場となった芸術情報センター展示ホールの、マッシブでヴォリューム感のある塚本英世記念館の彫塑的建築という新古の両建築が対照的に建ち並び、その時間的流れの変化にも興味を覚えた。
 まずは、勝手な個人的話しになるが、SD感についての思いを述べておこう。現在参加されている20〜30代の方々、そして、それを見ている学生達は、どんな思いがあるのだろうかと考えさせられた。 現状を見ると、あまり変わりはないのかなと思いつつも、端的な感じから言えば、クールに受け止めている印象を受けた。私にとってSD展は、もっと熱いものがあったように思う。それは、新人建築家にとっての登竜門であり、勘違いにしても、無名の入選者が華々しく、前衛作家として社会的認知を受けたように思えていた。ギャラリーの人達も、そう見ていたように思う。毎年、どんな作品が出展され、どんな表現方法でプレゼンテーションされるのだろうかという期待感と、少々荒っぽいところがあったにせよ、時代の最も突出した部分を担っていたと思う。そして、現在もSDレビュー展の開催される狙いと求めるところであろし、新人のための数少ない貴重な公募展の1つである事には違いない。私自身もSDレビューに応募し、1度入選したことがある。今回出展された方々も同じであろうが、作品制作に決まるとコンペの提出とは異なり、忙しい合間に事務所のスタッフ、そして学生達と周りの多くの人達を巻き込みながら、エネルギーがかけられた展示作品はできあがる。一種のお祭りのようなもので、そういう盛り上がりを楽しむ出来事でもある。
 今回の入選作品を通して見ると、突出的印象よりもバリエーションのある選択が行われたよう思えた。
会場全体は、全15作品が見やすく適度な間隔でうまく配置され、各作品の感想を簡単に述べさせて頂くと、浅野静+新井清一の作品には、やはり、モーフォシス風のアクリルで出来たコンセプト模型が展示され、その内容が理解できなかったが、ランドスケープを生かした気持ちのいい住宅になるだろうと思えた。大野勝+境静也+鉾岩崇の佐賀県宇宙科学館は、実施される形が表現され、実際に建設された時の事を考えると、素晴らしいイメージの合成写真と現実とのギャップが気掛かりに思えた。高安重一+佐久間達也+橋爪宏直+重富博之のランドスケープ作品は、オブジェ色の強さが気になったが、うまく自然をイメージしている。今村雅樹+佐久間菜穂子の住宅は、単純明快な構成、ハイセンスなものになるだろうが、単体からさらに内部と外部の近隣との関係を模型で見てみたいと思った。金子泰洋の住宅は、アースワーク的な関わり方が、どの様なものになるのだろうかという期待感と、それがファッション的にならないだろうかという思いが交錯した。川人洋志の作品、そして、藤本壮介の作品は、CAD的な特性から生まれ、組み立てられているように思えるクールな空間イメージの計画であるが、実際に使われる材質で、空間のテイストが変わるだろし、今後、どんな選択をするのか興味がもたれる。たかますよしこの自邸は、女性らしくメルヘン的で、そんなものも伝わってくるのだが、入子状のトリッキーな室内構成の方が、私には興味が湧いた。鈴木エドワードの駅舎は、関西国際空港を見慣れているせいか、形態に新鮮さがないにしても、これまでのJRにないこの様な駅舎が出来ることに、期待が拡がる。松澤穣の住宅は、ドローイングの如く、空間のストーリー性と情緒性が伝わり、単純だが階段空間に住まいの豊かさを覗かせている。三浦明彦+安田幸一+神成建+北川啓一の地中に埋め込まれた美術館は、イーメジ的表現の多いなかで最も忠実なプレゼンテーションで、実際的な空間構成の模型から十分に練られた実施案であることは理解できた。佐藤孝秋のまちづくりデザインは難しく、形では語れないものがあるのだろう。西沢立衛のウィークエンドハウスは、実施設計一式が展示され、ディテールの考え方が十分に読みとれた。興味のある空間だが、同名の西沢(文隆)による35年程前に設計された、同じようなコート・ハウスの「正面のない家」と印象が重なった。松本明の住宅は、今風の単純な構成だが、ドローイングとプレゼンテーションのような、手作りな空間になるだろうと想像できた。
 全体を眺めて見ると傾向としても、作者の感情移入した手書きドローイングの類は、年々少なくなっている。 CADは、当然ツールとしてあるのだが、建築計画上の捉え方以外に、建築形態自体もデジタルで特色づけられるように思える。それは、コピー・ペーストのように、作図操作上等の容易さ、その必然として均質で繰り返される空間、さらにユーロ・モダンの単純型の建築イメージなどが重なり合い影響している事は否定できないだろう。それらも又、時代性であろうと思える。
 気が付くと、時のたつのを忘れ長い間会場にいた。今年もまた、SDレビュー展にはまってしまったようである。        

木村博昭