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関西建築家ボランティア再起動後の活動12011
関西建築家ボランティア再起動後の活動1

 16年前に結成された、関西建築家ボランティアを再起動させた。
 そして、残されていた原資を元に関ボラ基金を発足させた。また、支援に取り組む体制を確認し、支援を開始した。早々に、現地調査していた宮本氏より、釜石地域で家屋や作業場と大工道具もろとも全てを津波で流された、希望を失った被災大工への支援要請があった。早々に支援を決め、大工道具類を買い求め現地に送った。それが、きっかけで、多くの道具が送られて来たそうである。そして、地域の他の被災大工達と分け合い仕事を再開した。また、水谷氏と付き合いのある神戸の合板会社から合板による仮設シェルターの申し出があり、この被災大工の倉庫と作業場として提供し、併せて現地で不足する合板を持参し、私と水谷氏と共に現地入りし、シェルターを共に組み立て、大工の誇りと笑顔が戻った。
 どうしても、東日本と阪神淡路の震災が重なる。釜石地域では、直接的な地震被害はさほど問題でない。しかし、津波による被災害地は、絶望的であり、津波災害の無かった所は既に平常であり、その一線の落差が余計に悲惨である。阪神淡路の時のような、長期間ブルーシートで包まれ応急処置された家屋は見当たらなかった。また、沿岸部の被災大工の家が流された箱崎のような漁村は、未だ放置状態で廃墟の如く人影もなく、ただただ自衛隊車両が往来して、展望が見えない状況下で、この被災大工がひとり、再建に立ち向かっている。
 自然の脅威は、測り知れず想像を遥かに超えている。人類は偉大であるが、原発も含め、自然を制御しようとする事があさはかであり、つくづく考えさされる災害である。建築は、人の幸せをもたらし時として倒壊し悲惨さを招く。我々建築家に与えられた職能は、当然ながら将来ビジョンを示す事にあり期待されている。しかし、目前の被災者支援も怠れない。どちらかと言えば、応急的な行為が、人々に将来の希望を与え、そこに作るものに対する信頼性と社会責任がある。

関西建築家ボランティア 世話人 
木村博昭
建築家/京都工芸繊維大学院 建築設計学専攻教授
(2011/5/16)